◇伊藤梅子(初代内閣総理伊藤博文継妻)小宮三保松の妻康子宛。◇伊藤梅子(初代内閣総理伊藤博文継妻)小宮三保松の妻康子宛。◇伊藤梅子(初代内閣総理伊藤博文継妻)小宮三保松の妻康子宛。◇伊藤梅子 ◇小宮やす宛墨書書簡◇\r歌人(初代内閣総理大臣伊藤博文の継妻)\r芸妓より37歳で日本初のファーストレディとなり皇室や鹿鳴館洋装化に貢献\r下関の置屋「いろは楼」養女となり芸妓「小梅」として海外帰国後の博文と知合い継妻となる。
\r夫の博文が44歳で初代内閣総理大臣となるにともない梅子37歳で日本初のファーストレディとなる(以後第4次伊藤内閣まで4度ファーストレディとなる) \r当初文字も書けなかったが、向学心に富み克己心が強く、阪正臣に書を下田歌子に和歌を学び、英語の習得にも心がけた。
常々身だしなみに気を配り、鹿鳴館で活躍、婦徳の鑑と称さる。
博文の欧化政策推進に協力。
天皇が皇后の西洋化に難色を示しているとの意向が伝わると、自ら洋服を着て御所に参内するなど、宮中女子の洋装化の根回しに奔走。
\r本姓)木田 前名)小梅。
嘉永元年木田久兵衛の長女として長門国(現山口県)で誕生 \r◇伊藤梅子は博文没後邸宅滄浪閣(神奈川県中郡大磯町)を出て東京の生子の嫁ぎ先の末松謙澄邸などを転々とする。
嘉永元年〜大正13年没77歳 \r◇書簡寸法 161センチ×18センチ 巻紙書簡◇状態 封筒にはイタミあるが、手紙中身については折はあるがイタミは少ない美品。
\r\r◇参考事項◇書簡受取人◇ \r◇小宮やす(泰子)(小宮三保松夫人)宛書簡\r旧姓)杉山ヤス(杉山好敏の長女)\r◇小宮三保松◇\r下総国古河藩士小宮久左衛門の長男\r司法省法学校第一期生として卒業し、司法省御用掛官僚 法曹 文学研究者 李王職次官 大審院検事法典調査会委員。
錦鶏間祗候\r司法制度研究のため、欧州に3ヵ年の留学を命じられ帰国後に東京始審裁判所検事となり、貴族院書記官、枢密院議長秘書官、大審院検事などを経て、明治40年韓国宮内次官、明治44年李王職次官就任。
\r後年は古事記 日本書紀 万葉集など古典文学の研究でも知らる。
\r◇本書簡差出地の大磯の博文の邸宅滄浪閣は博文没後に旧李王家に売却され李王家別邸となる。
(売却に関して李王職次官であった小宮三保松の差配と思われるが関与は不明) ◇古いものですのでキズ ヨゴレ イタミ キレ オレ シミ ヤケ カケ 虫クイ等が有る場合がありますので、画像でご納得の上での入札をお願いいたします。
\r\r◇出品者が長年にわたり収集してきたモノを出品しておりますので、長期保存品です。
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